同じにやっても動かない

書いてある通りやっているのに動かないのです

線を引く側と、引かれる側、どちらに属するかを決めるのは自分ではない

炎上芸で名を轟かせているイケダハヤト氏。
今回も日本人全員をターゲットにした挑発的なタイトルですが、内容に非常に共感しましたので、ご報告致します。

生活保護の受給を厳格化せよ」と雄弁に語る人々は、自分たちがこの制度を利用する可能性があるという絶対的な事実を、信じられない鈍感さで見逃しているのでしょう。

自分で自分の首を絞めていることに気づかない日本人たち - ihayato.書店 | ihayato.書店


イケダハヤト、いいこと言った!
昨今の○○叩き、disりを見るたびに思うのは、まさにこれ、これに尽きる。
どうしてそこまで正義の御旗の元に発言できるのだろうと、不思議でしょうがないのです。
想像力の悲しいまでの欠如としか言い様がない。
自己責任という言葉を耳にする度、本当にそう思います。


自分が同じ境遇になる可能性を完全に排除した物言いは、イケダハヤト氏の言う通り社会をギスギスさせるだけで、最終的には発言者自身の首を締めることになるわけですが、絶対善・絶対正義の立場であることを信じて疑わない発言者は、そこがわからない。
というか、自分は間違わないので、そこに到達しようがない。


仮に、自分は間違っていないし、将来も間違わないとしましょう。
そう信じているのであれば仕方ないし、他人がどうこう言うことでもないですから。


でも、そうだとしても、忘れてはならない事があります。
自分が間違っているかどうかの線引をするのは、自分ではないという事です。


自分は線を引く側にいると思っていても、知らない間に線を引かれているということがある。
正義とか善悪って、そういうものだと思います。


だからこそ、線を引くときにはありたっけの想像力をもって、線を引かれる側にいる自分を思い浮かべなければならない。

ナチスがコミュニスト共産主義者)を弾圧した時,私は不安に駆られたが,
自分はコミュニストではなかったので,何の行動も起こさなかった。
その次,ナチスはソーシャリスト(社会主義者,労働組合員)を弾圧した。
私はさらに不安を感じたが,自分はソーシャリストではないので,何の抗議もしなかった。
それからナチスは学生,新聞人,ユダヤ人と,順次弾圧の輪を広げていき,
そのたびに私の不安は増大したが,それでも私は行動に出なかった。
ある日ついにナチスは教会を弾圧してきた。
そして私は牧師だった。
だから行動に立ち上がったが,その時は,すべてがあまりに遅過ぎた。

マルティン・ニーメラーのことば


だいたいすぐに規制を作るけど、本来であれば、まずは運用で乗り切るべきでしょう。


いくら規制を厳しくしても、イケダハヤト氏が言うように本来利益を享受すべき人がそれを受けられなくなるだけで、インチキでも条件を揃えることのできるずるい人の方が有利になる。


生活保護なんて、現場を見ながら運用していくべき仕組みの最たるものだと思います。